
ポジティブ心理学とは
ポジティブ心理学とは、平たく言えば、個人の人生において、より良い方向に向かうことについて科学的に研究する学問です。学術的な定義としては、ポジティブ心理学とは、個人や社会が活力に満ち、最高最善の状態で機能する時の条件・プロセスについて科学的に研究する学問である(Gable & Haidt,2005)と定義されています。
■ ポジティブ心理学のよくある誤解:
ポジティブ心理学は幸福感や充実感を科学的に研究し、どのようにすれば人々がより満足した人生を送れるかを探求する学問です。その研究は広域な範囲であり、単に楽しさを追求するだけのものではありません。ポジティブ思考という一時的なポジティブ感情だけを言っているのでもありません。人生に対する幸福感や満足感を感じるためには、意味のある目標や人間関係の質、自己実現などが重要です。楽しさも重要な要素ですが、それだけではなく、深い充実感や自己成長も重視されます。
人が何とか生きている状態(Survive)ではなく、可もなく不可もなく生きている状態(Live)でもなく、イキイキと活力に満ちた状態(Thrive)で生きる、そのときに機能する条件とは何か?そこにたどり着くプロセスとはどういったことがあるか?を研究しているのがポジティブ心理学です。

■ ポジティブ心理学の歴史
ポジティブ心理学の概念は、1998年にアメリカ心理学会(APA)の会長であったマーティン・セリグマンが、自身の任期中のテーマとして掲げたことから正式に始まりました。従来の心理学は長い歴史の中で、主に「精神疾患の治療」や「ストレス・トラウマの軽減」に焦点を当ててきました。臨床心理学や精神医学は、人々の苦しみを軽減することには成功していたものの、「人がどのようにすればより良く生きられるのか」については十分に探究されていませんでした。
セリグマンは、心理学が病理的な側面の解決だけではなく、「人が充実した人生を送るためには何が必要か」「幸福やウェルビーイングを高める要因は何か」を科学的に研究する必要があると考えました。この問題意識のもと、ポジティブ心理学は、「人々が強みや資源を活かしながら、より豊かで満たされた人生を送る方法」を探求する新たな学問領域として確立されました。
セリグマンは、従来の心理学が 「ネガティブな状態の改善」 に重点を置いていたのに対し、ポジティブ心理学は 「ポジティブな側面を強化する」 ことを目的としている点で補完的な関係にあると説明しています。これは、心理学のアプローチをよりバランスの取れたものにし、人々の幸福度を高めるための新たな視点を提供するものでした。
■ ポジティブ心理学の代表的な研究テーマ
ポジティブ心理学は、以下のような多岐にわたるテーマを研究対象としています:
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幸福感と主観的幸福:個人が経験する幸福感や生活満足度の測定と向上。
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レジリエンス:逆境や困難に直面した際の回復力や適応力の研究。
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強みと美徳:個人の特性や才能を特定し、それを活用する方法の探求。
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フロー状態:活動に完全に没頭し、時間を忘れるような最適な経験の研究。
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ポジティブな人間関係:良好な対人関係の構築と維持に関する研究。
ウェルビーイングの研究:
ポジティブ心理学におけるウェルビーイングは、幸福感や満足度だけでなく、個人の持続的な成長や充実した人生の実現を含む広範な概念である。セリグマンのPERMAモデル(ポジティブ感情、エンゲージメント、人間関係、人生の意味、達成)をはじめ、ダイナミックな幸福(動的ウェルビーイング)、心身の健康、ライフバランス、職場における幸福、社会的つながりなど、多岐にわたる要素が研究されている。
グローバルにおけるポジティブ心理学の主要な取り組み
ポジティブ心理学は、世界中で注目を集め、多くの研究機関や大学で専門のプログラムや研究が行われています。以下に、主要な取り組みを紹介します。
1. ペンシルベニア大学の応用ポジティブ心理学修士課程(MAPP)
ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマン博士により、ペンシルベニア大学に設立された世界初の応用ポジティブ心理学修士課程(MAPP)は、世界中の学生が参加し、ポジティブ心理学の理論と実践を深く学んでいます。 ポジティブ心理学
2. 国際ポジティブ心理学協会(International Positive Psychology Association)
国際ポジティブ心理学協会(IPPA)は、2009年に第1回IPPA世界ポジティブ心理学会議(WCPP)が米国ペンシルベニア州フィラデルフィアのペンシルベニア大学構内で開催されて以来、ポジティブ心理学、ウェルビーイング、そしてそれ以外の分野でも世界をリードする会議となるよう、その成長と進化に力を注いでいる。
IPPA世界大会は、シンポジウム、パネルディスカッション、ポスターセッション、ギャラリー、ワークショップ、イグナイトセッション、基調講演、座談会などを通じて、最先端の研究や、ビジネスや職場、教育、医学やヘルスケア分野、学生やウェルビーイングへの影響、帰属意識、スピリチュアリティ、意味など、さまざまな分野、業界、領域にわたる魅力的な科学の応用に焦点を当て、発見、洞察、情報を共有し(そこから学び)、共有する場である。
3. Gallup社
Gallup社は、世界的な世論調査や組織コンサルティングを行う企業であり、特に 従業員のエンゲージメントや個人の強みに関する研究 で知られています。Gallupは、データに基づいた分析をもとに、組織のパフォーマンス向上や人材開発の支援を行っています。個人の強みの活用、エンゲージメントの向上、幸福感(ウェルビーイング)の促進 という点で、ポジティブ心理学の科学的知見を活用しながら企業や個人の成長を支援し、持続的な成功へと導く重要な役割を果たしています。
Gallupの主要な取り組みとポジティブ心理学の関連
1)ストレングス・ベースド・アプローチ(強みを活かすアプローチ)
Gallupは、個人の持つ「強み(Strengths)」を最大限に活かすことがパフォーマンス向上と幸福感につながると提唱しています。この考え方は、ポジティブ心理学の研究においても支持されており、マーティン・セリグマンやクリストファー・ピーターソンらによる「VIA(Values in Action)強み分類」とも共鳴しています。
Gallupが開発した 「クリフトンストレングス®(ストレングス・ファインダー StrengthsFinder)」 は、個人の強みを特定し、それを活かすことで生産性と満足度を向上させるツールです。この手法は、ポジティブ心理学の 「弱点を直すよりも、強みを伸ばす方が幸福度と成功に貢献する」 という考え方と一致しています。
2)従業員エンゲージメントの向上
Gallupの調査では、エンゲージメントの高い従業員は、仕事への満足度が高く、生産性が向上し、企業の成功に大きく貢献することが示されています。これはポジティブ心理学における 「PERMAモデル」(Positive emotions, Engagement, Relationships, Meaning, Accomplishment)における「E(エンゲージメント)」に直接関係しており、ポジティブ心理学の実践としても重要な要素です。Gallupの 「Q12(エンゲージメント調査)」 は、従業員が仕事に対してどの程度熱意を持っているかを測る指標であり、組織のパフォーマンス向上のために広く活用されています。ポジティブ心理学の観点からも、仕事の意味や目的を感じることが幸福度向上につながるとされており、Gallupのエンゲージメント理論と強く結びついています。
3)幸福度(ウェルビーイング)の研究
Gallup社は、世界規模で幸福度の測定を行い、「Gallup Global Well-Being Index」として発表しています。この指標は、「キャリア」「社会的つながり」「経済的安定」「健康」「地域とのつながり」 の5つの要素から構成されており、ポジティブ心理学の研究成果と整合性が高くグローバル最大級の研究として注目されています。
https://www.gallup.com/workplace/244436/insights.aspx
4. ミシガン大学のポジティブ組織センター
ミシガン大学のポジティブ組織センター(Center for Positive Organizations)は、組織内でのポジティブな変革を促進する研究と実践を行っています。このセンターは、リーダーシップ、組織文化、従業員の幸福など、多岐にわたるテーマで研究を進め、ビジネス界との連携を深めています。
https://positiveorgs.bus.umich.edu/
5. カリフォルニア大学バークレー校のグレーター・グッド・サイエンス・センター
カリフォルニア大学バークレー校のグレーター・グッド・サイエンス・センター(Greater Good Science Center)は、幸福感、共感、レジリエンスなどの心理学的、社会学的、神経科学的研究を行い、社会全体のウェルビーイングを促進するための教育プログラムやリソースを提供しています。
6. ハーバード大学のポジティブ心理学講座
ハーバード大学では、ポジティブ心理学の講座が開講されており、学生たちの間で非常に人気のある科目の一つとなっています。特に、この分野の第一人者であるタル・ベン・シャハー(Tal Ben-Shahar)博士が担当した「ポジティブ心理学」講座は、ハーバード史上最も人気のある講座の一つとされ、年間800人以上の学生が受講していました。
タル・ベン・シャハー博士は、ポジティブ心理学とリーダーシップ開発の専門家として世界的に知られています。彼は、マッキンゼー・アンド・カンパニーの元シニアパートナーであるアンガス・リッジウェイ氏と共著で『10倍リーダーシップ・プログラム』を執筆し、世界最高のリーダー論を展開しています。この書籍では、10倍リーダーに共通する性格や行動、考え方を明らかにし、それらを誰もが身につけることで、より幸福になり、効果的に働き、大きな成功を収める方法を提案しています。
彼の講義では、幸福感、強みの活用、レジリエンスの向上、感謝の習慣、マインドフルネス、目標設定など、科学的根拠に基づいた実践的な手法が取り上げられています。これらの内容は、リーダーシップ開発にも応用され、個人の成長と組織の成功に寄与しています。
現在も、タル・ベン・シャハー博士はポジティブ心理学の普及に力を入れており、オンライン教育プラットフォームや企業研修を通じて、多くの人々にポジティブ心理学の知見を提供し続けています。彼の著書『ハーバードの人生を変える授業(Happier)』は、世界的なベストセラーとなり、多くの人々にポジティブ心理学の魅力を伝えています。
このように、ハーバード大学のポジティブ心理学講座は、学問的な知識を超え、実生活やリーダーシップ開発に応用可能なスキルを提供するプログラムとして、現在も大きな影響を与え続けています。
■ なぜ今、ポジティブ心理学が必要とされるのか
現代社会では、ストレス、メンタルヘルスの問題、社会的孤立など、多くの課題が存在します。ポジティブ心理学は、これらの課題に対処するための科学的根拠に基づいた戦略とツールを提供し、個人やコミュニティが繁栄し、回復力を高めることを支援します。また、幸福感や満足感の向上は、生産性や創造性の向上にも寄与することが研究で示されています。
■ 日本企業や組織にとってのポジティブ心理学の実践的アプローチ
日本の企業や組織において、ポジティブ心理学の原則を取り入れることで、従業員のエンゲージメント、モチベーション、生産性を向上させることが可能です。特に、個人の強みや心理的資本を活用することで、組織全体のパフォーマンス向上と持続可能な成長に貢献できます。
具体的なアプローチとして、以下の施策が挙げられます。
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従業員の強みを活かす役割設計
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建設的なフィードバックとフィードフォワードの対話
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レジリエンスを高めるためのトレーニングの導入
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ポジティブな企業文化の醸成(感謝・称賛の仕組みづくり)
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経営層/マネジメント職によるポジティブ・リーダーシップの推進
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ポジティブな意思決定と問題解決のプロセス設計